(n;∞;)n推しの舞台のチケ争奪戦に勝利しました…!!!!!!
風俗業界どシロートのS、本日も絶賛お勉強中。
さてさて今回は…!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新米S「吉原のお勉強も佳境ってカンジです(*´∞`)」
先輩E「私も吉原に詳しくなった気がするよ!」
新米S「へへ…(*´∞`)b今回は、有名な遊女について調べました!」
先輩E「いいね♪今回もはりきってよろしく!」
新米S「イエス!レッツ勉強(*p`∞´q)!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
とゆうことで、今回のテーマは有名な遊女です。
江戸時代の始まりから、吉原遊郭は流行の発信地でした。
・歓楽街としてバツグンの知名度。
江戸のテーマパークともいえる吉原遊郭は、その華やかさからいつも注目の的でした。
その中心にいたのは……もちろん、遊女でした!
多くは親に売られ、遊郭で働くことになった遊女たち。
その中で美貌と才能で名をあげ、江戸のアイコンとなった女性がいました。
ここでは、特に有名な遊女をご紹介します!
☆高尾太夫(たかおだゆう)☆
吉原遊郭といえばこの名前!
「高尾」は代々受け継がれた名跡(みょうせき)…つまり源氏名です。
特に見込みのある&器量のよい遊女に継がせて、ブランド感を演出しました。
なので、高尾太夫と呼ばれた遊女は複数いました。
高尾太夫は全部で11代。
特に有名な歴代高尾をざっくりご紹介しますね!
□初代(妙心高尾)□
昔の上客が落ちぶれたのをあわれんで自腹で接待→その客の子を妊娠・出産。
その姿が「なんて情け深いんだ!」と評判になり、さらに人気が上がったそうです。
□2代目(仙台高尾)□
落語「反魂香」のモデルにもなった高尾。
仙台藩のお殿様に嫁いだものの、なびかなかったので斬り殺されたといわれてます。
□3代目(水谷高尾)□
水戸家御用達の商人に嫁ぐ→下人の男と不倫して家出→その後色々な男性とくっついては別れ……
最期は道で行き倒れて亡くなったといわれてます。
□5代目(紺屋高尾)□
落語「紺屋高尾」のモデルとして超有名!
「紺屋高尾」のストーリーはこんなカンジです↓
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
紺染め職人の男が、花魁道中の高尾に一目ぼれ。
一生懸命働いて、三年かけてお金を貯めて高尾に会いに行きます。
また会いたい…でも自分はしがない紺染め職人…
遊女の定年を迎えた高尾は、男のもとに嫁ぎました。
紺屋を継いだふたりはニューアイテムの手ぬぐいを売り出し、大ヒット!
紺屋は大繁盛したのでした……。<おしまい>
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ハッピーエンドなこの話は人気も高く、何度も映画化されてるそうです。
□6代目(榊原高尾)□ ※7代目説もアリ
超有力な大名に嫁いだ高尾。
それを知った徳川吉宗、「幕府は倹約キャンペーン中なのに!」と激おこ(;´∞`)暴れん●将軍…
夫である大名は、越後高田(新潟)に左遷が決まってしまいました。
夫はすぐ病死してしまい、その後の高尾は江戸のお屋敷で静かに暮らしたといいます。
☆勝山(かつやま)☆
まさにカリスマ・オブ・カリスマ!
江戸に一大ムーブメントを巻き起こした遊女の源氏名です。
勝山は、もともとは吉原遊郭ではなく、風呂屋で働いていました。
風呂屋……銭湯で風俗サービスを提供する、無許可の違法風俗店です。
手軽で客も多い風呂屋で、勝山は特に人気がありました。
品のいい外見、武家風に結った髪、腰にさした二本の木刀……。
幕府の取り締まりで捕まった勝山は、吉原遊郭に引き渡されて遊女となりました。
吉原遊郭でも勝山は大人気!
彼女の考えた髪型は勝山髷(かつやままげ)と呼ばれ、江戸中の女性が真似をしました。
丹前……いわゆる「どてら」も、勝山の考えたファッションだと言われてます。
美しさ&個性で評判と客を呼び、勝山は当時最高位の太夫にまで昇りつめたのでした!
他にも、大の猫好きで浮世絵のモデルにもなった薄雲太夫(うすぐもだゆう)など…
さまざまなカリスマ遊女が吉原遊郭の人気を築いていきました!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先輩E「どてらの発案者が遊女だったとは…知らなかった!」
新米S「吉原遊郭の遊女はインフルエンサーだったんですね~!(`・∞・´)」
先輩E「いまホットな吉原の風俗求人はビーワークで検索♪」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新米S、まだまだ知らないことがいっぱいです!
次回は「今も昔も安全に働くなら風俗許可店です♪」についてです!
——*…*——*…*——*…*——*…*——
このブログは高収入風俗求人サイト【ビーワーク -Bwork-】が連載しております。
◆どんな女の子が働いているのか気になった方はこちら → BSNAP
——*…*——*…*——*…*——*…*——