(´∞`)ソシャゲの課金額を聞かれると口ごもりがちです…
風俗業界どシロートのS、本日も絶賛お勉強中。
さてさて今回は…!
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新米S「本日も吉原のお勉強中です(´∞`)ノ」
先輩E「吉原だけでだいぶレポート増えたねw」
新米S「そうなんです~知れば知るほど面白いです(*´∞`)n!」
先輩E「先輩的には……遊女のファッション事情とか気になるネ!」
新米S「あっそれいいですね!(*p`∞´q)調べます!」
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とゆうことで、今回のテーマは遊女のファッションです。
身分制度があった江戸時代。
幕府の出した「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」で、贅沢は禁止!
着る服の生地や使える色まで決められてました。
そんな時代だったことを踏まえて、吉原遊郭の遊女の装いを見てみましょう!
☆江戸の最先端!遊女ファッション☆
□着物□
江戸時代の女性は、着物を長いまま引きずって着てました。
なので、下半身のシルエットは末広がり。
前から見ると、着物の裏地や肌着がチラリするスタイルでした。
この着物、実は今も着られてるって知ってましたか?
結婚式で花嫁さんが着るアレ…そう、打掛(うちかけ)なんです!
打掛は室町時代からあり、もともとは【位の高い女性のアウター】でした。
江戸時代に入って、上級武家の女性やランクの高い遊女も着るようになりました。
そこから裕福な町屋の女性が婚礼衣装として着はじめて、今に伝わってるそうです。
遊女は帯を前で締めました。
お見合い→通い→結ばれる、という「疑似結婚」スタイルが売りだった吉原遊郭。
打掛で客を出迎えるのは、花嫁だから!だったのかもしれませんね。
□ヘアアクセサリー□
遊女や花魁といえば、浮世絵を思い出す人も多いと思います。
結った髪にいろいろ盛ってるアレですね。
遊女が髪飾りに使ったのは主にこの三つ。
・簪(かんざし)…先端に耳かきがついたスティック状の飾り。
これらは、金銀・鼈甲(べっこう)・メノウ・水晶などなど高価な素材で作られました。
髷(まげ)のスタイルが増えて複雑になると、飾るものもどんどん豪華になっていきました。
吉原遊郭と京都や大坂(大阪)の遊郭とでは、笄のさし方などが違ったそうです。
これらの装飾品は、実は全部遊女の自腹で用意しました。
店への借金もかさんで、稼いでも稼いでもなかなか返せない、という状況でした。
華やかさの裏側には、遊女たちの苦しいお財布事情があったのです!
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新米S「いわゆる美容代が借金になるって厳しいですね(´・∞・`)」
先輩E「集客の為の出費だから余計キツかっただろうね…」
新米S「借金のせいで遊女を辞められない人も多かったとか…世知がらい!」
先輩E「収入や待遇も一目でわかる!吉原の風俗求人はビーワークで探してみてね♪」
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新米S、まだまだ知らないことがいっぱいです!
次回は「パネマジ!?吉原遊女のメイク術」についてです!
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