25.江戸時代の吉原以外の風俗遊び(違法も含む)

こんにちは!ビーワーク新米スタッフSです。
Sが働いているのは、女性の高収入風俗求人を紹介するサイト【ビーワーク】です(*’ω’*)

 

(*;∞;)ついにガチャで推しキャラ引きました…!!!!!!!!

 

風俗業界どシロートのS、本日も絶賛お勉強中。
前回は江戸時代の吉原で生まれた言葉について書きました。

 

さてさて今回は…!

 

 

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新米S「今日も吉原のお勉強です…が(´∞`)」

 

先輩E「が?」

 

新米S「今日はちょっと、吉原の外に目を向けてみました!」

 

先輩E「外…吉原以外の遊郭ってことかな?」

 

新米S「そうです!吉原のすぐ外のお話です…!(*p`∞´q)!」

 

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とゆうことで、今回のテーマは江戸四宿(えどししゅく)です。

 

 

関東最大の歓楽街だった吉原遊郭。
街道が整備されたことで旅人が江戸を行き来し、名所である吉原遊郭を訪れました。

 

江戸・日本橋を起点に伸びたこの街道を五街道と言います。
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つですね!

 

 

五街道の各ポイントに置かれた宿場のうち、日本橋から近かったのが以下の四つ。

 

・千住宿(現在の足立区~荒川区あたり)
・板橋宿(現在の板橋区あたり)
・内藤新宿(現在の新宿区あたり)
・品川宿(現在の品川区あたり)

 

これらを江戸四宿と呼びます。

 

 

江戸四宿はまさに江戸の出入り口!

 

江戸と地方の行き来には、必ずこの四つのどれかを通りました。
江戸に近いので、文化や流行も江戸の影響が強かったようです。

 

 

そして江戸四宿にはそれぞれ、幕府非公認の遊郭である岡場所があり、飯盛女が働いてました。

 

岡場所&飯盛女については、19.今も昔も安全に働くなら風俗許可店です♪でお勉強しましたネ。

 

昼は宿で働いて、夜は体を売る仲居さんがたくさんいたということです。

 

岡場所はいわゆる違法風俗店。
幕府も一応目を光らせて、ひとつの宿場で雇える飯盛女の数を制限しました。

 

千住宿・板橋宿・内藤新宿は150人まで。
品川宿は500人まで。

 

しかし、制限は効果がなく、江戸四宿の岡場所はどんどん栄えていきました。

 

特にすごかったのが品川宿。
人通りや物の流れが多く、上方(関西)からの情報も入って来る品川はとても重要な宿場でした。

 

遊郭(岡場所)としての格も、江戸四宿の中で一番上。

 

天保の頃(1843年頃)の記録では、「北の吉原、南の品川」とまで呼ばれるようになってたそうです!

 

取り締まりで1000人以上の飯盛女が捕まったといいますから、相当な規模だったんですね~。

 

岡場所は吉原遊郭のようなルール・しきたりがなく、お値段も安く遊べました。
江戸から近いので、吉原遊郭は高くて遊べない…という江戸の男性は江戸四宿まで足を運びました。

 

でも、そんな岡場所が増える中でも栄え続けた吉原遊郭…やはり歴史に残る特別なエリアだったんですね!

 

 

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新米S「江戸の目と鼻の先に吉原遊郭のライバルがいたんですね(´∞`)」

 

先輩E「品川が吉原と並ぶプレイスポットだったとは!」

 

新米S「安い違法店が増える中でも吉原遊郭は人気だったみたいです!(b´∞`)」

 

先輩E「吉原遊郭というブランドの強さを感じるね~!」

 

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新米S、まだまだ知らないことがいっぱいです!
これからも風俗の「わからない」を調べていきたいと思います!

 

次回は「召し上がれ♪吉原のごはん事情について。」についてです!

 

 

 

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